魂のこもった日誌を、たまに書きます。
2015.7.15
3日前から、ある讃美歌が、頭の中をグルグルまわっています。
この間の日曜、ずいぶん久しぶりに高校の同窓会に出席してきました。
そこで食前の祈りの際にうたった讃美歌が、今もまだ離れないのです。
私が通っていたのは、横浜の山手にある中高一貫の私立女子校。
よくお嬢様学校と言われたりするのですが、
実はクラスの5〜6人が東大に行くような進学校でした。
だから同窓会にも、医者や弁護士、会計士、建築士など、
超難関国家試験を突破した強者女子たちがゴロゴロ。
私自身は東大も出ておらず、資格も普通自動車免許(しかもペーパードライバー)
くらいなのですが、今回あらためて、すごい人たちと机を並べていたんだなぁと、
当時のことをいろいろ振り返ってみようとしたのですが、、、あまり思い出せません。
たぶん、この頃の私は激しく思春期で、自分との折り合いをつけるのに
精一杯だったので、記憶がぼんやりしているのかもしれません。
でも、通っていた6年間に毎朝おこなわれた礼拝の風景は、すぐに頭に浮かびます。
講堂中に響き渡る荘厳なオルガンの音色、キリストと子羊を描いた
1千万円だか1億円だかの美しいステンドグラス、クリスチャンの先生による優しくて
眠気を誘うお話…そう、この頃は成長期だからか異常に眠く、
讃美歌を歌うとき以外はずっと寝ていたことも多々あったような。
そうやって聞いてないこともありましたが、
そのお話にハッと救われるような思いをしたことも、何度もありました。
今回の同窓会でも、当時の担任をしてくださった
筋金入りのクリスチャン先生のお祈りを拝聴しながら、体にしみこんだものが
呼び覚まされるように涙腺がゆるんできて。
あぁ、そうか、キリスト教は人の心を救うために生まれたものなんだなと、
思い出しました。
それは、今年の5月に茨城県の牛久大仏に行ったときにも、感じたことでした。
ここの大仏さまは、ニューヨークの自由の女神よりも大きいらしく、とにかく巨大。
最初は圧倒されるだけだったのですが、よく見ると、右手も左手も
OKサインをしていることに気づきました。前に仏像にくわしい友達に聞いたとき、
右手をあげて掌を見せるのは「安心しなさい」という印。
左手の掌を上に向けてこちらに差し出すのは「あなたを救ってあげますよ」
という意味だと教わった気がするのですが、
さらにOKサインによって、すべてを肯定してくれているのかも。
仏教もまた、人の心を救うために生まれたものなのだなと思ったのでした。
そうやって考えてゆくと、すべての宗教は、
心の救済を原点にしているのではないかと勝手に思います。
でも、なんでそれが一部では、宗教の違いによる戦争などになっちゃうんでしょうね。
おおもとは、みんな一緒のはずなのに。人間って、不思議ですね。